月と柳 -宝石箱-
縁側でほっと一息

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風月

Author:風月
横浜市在住 2児の母
職業 編集・ライター

半生を生きたところで、フト立ち止まった。かなりヘビーな人生を歩いてきたかも。
もともと自分でいろいろ背負い込んで頑張ってしまうクセも災いしたのか、ついに心も体も悲鳴をあげた。

けれど、これまたうまくその毒を吐き出したり人に頼ることがどうも苦手。
それならば…周りにある「小さな幸せ♪」を探していく方が、性にあっている。

そう思って見渡すと…あるある、たくさん!
残る半生のために、ささやかな宝石を拾い集めていこうと思う。



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気仙沼からのメール2

前回の記事でご紹介した、
気仙沼のガソリンスタンドの方からの
追記メールをいただきました。


「当日の夜から、元気に気仙沼のために、
油の供給を翌日からしてました。
日の出と共に働き出す東京消防庁のバカでかい消防車への停電の中の給油に始まり、
社員の安否確認やガスの消費者の安全の確認、被災現場への配達、
崩壊した事業所から貴重品の搬出、災害地での悪質な悪戯や犯罪からの保安、
毎日の燃油在庫の確認と仕入れ、地元業者との協力体制の構築、
避難所の巡回と販売店との話し合い、対策本部との話し合い。
あっという間の一週間でした。

家族は無事であったものの、社員二名の尊い命が奪われ、
本日安置所にて面会もして参りました。

辛いです。でも、前を向かねばとも思います。
本当に悲惨な状態です。
2万人の命を奪った明治の大津波の後を復興させていった先人の気構え、
心意気を見習らおうと、懸命に努めています。
ご心配、本当にありがとうございます。頑張ります。」


極限状態の中、前を向いて、一歩一歩、
頑張っていらっしゃいます。

今は気が張り詰めていますが、
それも限界があるはず。
これからの長期戦を乗り越えていくために、
少しずつでも体と心がお休みできる時間ができていきますように。

阪神大震災の被災者の方の言葉。

『本当につらかったのは、
 震災からしばらくたって、世間が忘れていきつつある時の
「取り残され感」だった』

私たちの「今できること」も
長期戦をアタマにおいていこう

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気仙沼からのメール

ママ友達に、実家が気仙沼の方がいます。
最近ようやくご両親と連絡がとれ、ご無事が確認されました。
が、いまだ安否がわからない知人の方もたくさんおり、
連絡役に奔走していらっしゃいます。

そのご友人からの、現地の様子を伝えるメールを転送していただきました。
気仙沼でガソリンスタンドを経営している方だそうです。


「ガソリンがないのは、千葉や根岸、鹿島の大きな日石の製油所や油槽所が
地震で傾き出荷出来なくなったからなんだよ。
日石は東北にある製油所も火事で燃えてるし。
電力といい、水といい、油といい、食料といい、
首都圏は東北や関東に頼ってる面が大きいんだよね。
新幹線通ればいいけど、車じゃこちらに来てもガス切れになるかもね。
ガスがなくて、東京まで帰れない人かなりいる。

主要道路の上にあった瓦礫が脇に避けられ、
市内を行き来することが出来るようになりました。
JXの根岸や鹿島の油槽所が傾いて首都圏や東北向けの製品が品薄で、
首都圏でも油が無くて大変なようですが、その状況の中、
瓦礫を撤去する重機や東京消防庁のバカでかい消防車や警察車両、
役所の様々な車、介護や捜索活動に動く車、病院や火葬場、
避難所の暖房などの油の調達を国の出荷規制の中、
毎日、東京に掛け合って明日のタンクローリー1台を
確保するために奔走しています。
社員は二ヶ所になってしまったスタンドに災害の翌朝から出社し、
日の出とともに活動する緊急車両への燃料補給や島へ物資を運ぶ船の燃料、
ヘリコプターから落とされる燃料ドラム缶の回収、燃料に関する
様々な復旧活動に当たってくれています。
今月の給料も出せるか解らない中で、自分の家や思い出を奪われるなかで、
家族を避難所や親戚の家に残し、懸命に働いてくれています。
神戸の時もそうだったようですが、震災後の瓦礫の暗闇の中では、
津波に押し潰された車からガソリンを抜くのは当たり前、
付け火や留守宅から窃盗を働くやからがいる物騒で薄気味悪い被災地にあって、
店を守るために泊まってくれている社員もいます。本当に感謝です。

皆の言葉に励まされてます。皆の気持ちが胸に染み渡ります。

家が壊れても『もう年だから新しく建てても』とか、
『ギリギリでやってきたからこの機会にいっそ商売は止めよう』
『営業所は当座、閉鎖して、静岡の本社に全員転勤させられるだろう』など、
神戸とはまた違った震災後の風景ではないか感じます。
私も本当にこんなに一生懸命やってくれている社員を養っていけるような
会社に再建できるのか、実は不安なんです。
そんな中の皆の気持ちは、正直、本当に本当に嬉しい。ありがたいです。
三年間、毎日一緒にいた皆だからこそ、嬉しいんだよね。

こんなに、全員から暖かいメッセージをもらえるなんて、
生きてて良かったなあと思います。」


できることは小さいけれど

そんなわけで結果として我が家では
ケガもなく、大きな被害もなく、残ったのは
避難訓練程度の経験と筋肉痛、足にできた5つのマメ。

それでも不安と緊張の続いたたった半日の経験は
自分で思った以上にダメージが大きく、
気が付くと2日間はぼーっとしていた。

その後刻々と明らかになっていく未曾有の被災状況。
現地の方々がおかれている過酷さは、想像を絶する。

家族、大切な仲間が生きてさえいれば、共に頑張れる。
日本には復興していく力がちゃんとある。

けれど、突然奪われた大切な人の命を悲しむ間もなく、
自分が生きていく術を見つけなければいけない方々に
私たちは何ができるのか。

募金、節電、風説に惑わされず冷静な判断をすること。
仕事を通じて情報を発信し続けること。
経済の停滞も復興の大きな妨げになるから、
仕事や日常生活をきちんと続けることもひとつなのだろう。
ありきたりで小さいことしかできないが、
みんなが同じ思いでいることが大きな力になると信じたい。

そして祈っています。

希望を捨てず
どうか生きて、生き抜いてください。


感謝をこめて

震災の日、私は渋谷駅に隣接したビルにいた。

揺れは大きかったものの、幸い周りにケガ人や目立った被害は見かけず、
電車がストップしているとわかった時も、
一時的なものですぐに回復するだろうと、駅周辺で待つことに決めた。

これはただごとではない、と気がついたのは1時間ほどした頃。
一緒にいた友人が無事に帰れたかどうかも気になりつつ、
家族の安否が心配だ。

幸い主人とは早々に1回だけ電話がつながり、
今渋谷で足止めになっていることを伝えることができた。
だが、その後は一切携帯がつながらなくなった。

中1の長女は部活で学校にいるはずだから、まず心配ない。
小2の次女はちょうど下校中の時間だ。
学校を離れてしまっていれば、
どうやって安否確認をすればいいのか。

近隣のママ友達に何度も電話やメールを送ってみるが、つながらない。

救われたのは、ようやく届いた次女の友達のママからの1本のメール。
家で次女を預かってくれているという。
安心のあまり、涙が出た。

ようやく「なんとしても帰らなければ」と動き始めた。
が、駅はシャッターが降り、完全に封鎖。
自宅付近までつながっているバスはない。
途中まで行けるバスを探すが、長蛇の列で最後尾がどこかすらわからない。
そもそも駅周辺は大渋滞していて、車は一切動けない状態だ。

歩くしかない。
R246をひたすら横浜方面に行けば、いつかはたどりつくはず。

けれど、果たして今日中に家に着けるか?
長女が家に帰ったであろう時間に、たまたま公衆電話の前を通りかかった。
時間はとるが仕方がない。1時間並んで自宅にかけると、やっと長女と通じた。
「友達の家に次女を迎えに行き、2人で一緒にいるように」
「余震が続いたり不安だったりしたら、近所のお宅の家に寄らせてもらうように」
と伝える。

初詣状態の国道を進むと、
途中のお店で温かいスープの炊き出しをしてくれている。
トイレを貸し出してくれているお宅もある。
なんてありがたいのだろうと救われる反面、
何が起こっているのかわからない不安感も大きくなる。

携帯の電池が切れそうだったので、親しい友人に
「今帰宅途中。家で子どもたちが2人で待っているので、
電話がつながれば励ましてやって」と、メールを送る。
返信が届かないので、この時点で届いたかどうかはわからなかった。

5時間無心に歩き続けたところで足に痛みを感じ、道ばたに腰をかける。
携帯の電池が切れたので隣に座っていた男性に時間を聞くと、22時を回っていた。
目的地を聞くと、彼は私の1.5倍の距離は歩くことになる。
少し元気をもらい、すぐに歩き始めた。

行き倒れ寸前、自宅にたどりついた時は午前0時を回っていた。
ムスメたちは非常用袋を枕もとに置き、
2人で寄り添うように爆睡していた。

主人もその30分後に帰宅。
こちらは府中から、やはり徒歩で7時間かかったとか。

後日談。

次女はこの日、帰宅途中の歩道橋で地震にあい、
一緒にいた友達と走って広場の真ん中に集まり、
輪になって座って身を守ったらしい。
その後帰宅したとたん、玄関で余震が来たので、
すぐにお友達の家へ行ったそうだ。
普段ぼーっとしていると思っていたら、
意外としっかりした一面を見せてくれた。

2人で留守番していた時も近所の人たちが声をかけてくれ、
最後に送ったメールが届いていた私の友人からも頻繁に電話をもらって、
頑張ることができた、とのこと。

次女はこの日の明け方インフルエンザを発症。
帰ってきてよかったと、胸をなでおろした。


あらためて
お世話になったすべての方に心から感謝いたします。

ありがとうございました。




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