月と柳 -宝石箱-
縁側でほっと一息

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プロフィール

風月

Author:風月
横浜市在住 2児の母
職業 編集・ライター

半生を生きたところで、フト立ち止まった。かなりヘビーな人生を歩いてきたかも。
もともと自分でいろいろ背負い込んで頑張ってしまうクセも災いしたのか、ついに心も体も悲鳴をあげた。

けれど、これまたうまくその毒を吐き出したり人に頼ることがどうも苦手。
それならば…周りにある「小さな幸せ♪」を探していく方が、性にあっている。

そう思って見渡すと…あるある、たくさん!
残る半生のために、ささやかな宝石を拾い集めていこうと思う。



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やっかいな感情

人間の感情の中で一番やっかいなものは
「嫉妬」ではないかと思う。

「幸福感」ってやつは、たいがい人と比べている。

自分より不幸そうな人を見て
「あの人に比べれば自分は幸せ」と安心する。
自分より幸せそうな人を見て
「あの人に比べて私は不幸」と落胆する。

同じ状況でも、自分を幸せと思えるか思えないかは
その人の考え方次第。
本人の経験や努力の結果として得た「ポジティブ」な考え方ですら、
表面的にしかとらえず
「幸せ自慢」と嫉妬する人もいる

嫉妬という感情がなければ、
世の中の犯罪や不幸な出来事は
どれだけ減ることだろう。

けどまあ、全く嫉妬しないなんて人がいたら
仙人か神様やね。

せめて普段から意識して
人と比べない生活をしていくしかないのかな。
何よりも、その方が自分自身がラクに生きられる。

なんてことを考えながら、
ムスメたちを眺めて
「いいなあ…ピチピチの若い肌
とうらやむ私。

まだまだ修行が足りないようで
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気がついたら年が明けていた

『一陽来復』
冬が終わり春が来ること。新年が来ること。
逆境、不運が続いた後で幸運に向かうこと。

さんざん迷ったあげく、今年の年賀状はこの言葉を選んだ。
で、恥ずかしながら初めて気が付いたのだが、
「福」ではなく「復」と言う字を使うのだな。
太陽の力が「復活」する、という由来だそうだ。

その年賀状をようやく出したのは大晦日。
今年も大掃除は中途半端なまま年が明け、
気が付いたら元旦を迎えていた。

ようやく1年を振り返ってみる。


ひとことで言うと、「感謝の年」だった。

普段当たり前と思っていたことが
実は当たり前ではなかったことに気づかされた。

人との関わりの大切さを改めて思い知った。

物やお金に対する価値観が変わった。

仕事に対する姿勢が変わった。


そして結果的に、いい意味で肩の力が抜けた。

日々の忙しさは変わらなくても、
気持ちはふっとラクになった気がする。

「こうでなくてはいけない」を
捨てることができるようになったこと。
…これが一番大きいかな。

え、これ以上いい加減になってどーすんのって
いやいや、こう見えて私、結構マジメなんです。
今年もさらにいい加減になることを、マジメに目指します。


と、新年の豊富を語ったところで、近況報告。

春にはいていたジーンズが入らなくなり、
焦ってフィットネスを始めたのが昨年10月。
まさか私がフィットネスだなんて…と思いきや、
これが結構ハマってしまったのだ。
これもなかなかおもしろい世界なのだが、
書き始めると長くなるのでまた後日。(っていつ?)
こうして1年位ハマっていた「ペンシルパズル」
からようやく卒業し、
フィットネスで体を鍛え、心を癒しながら、
たまっていた読書も再開し始めた今日この頃。

クリスマスには、学生時代の友人が入っている
ゴスペルチームのコンサートを見に行った。
残念ながら通うにはちょっと遠いので
参加はできそうにないけれど
やっぱりゴスペルって楽しそう!
近隣で気軽に参加できるチームないかなあ…。

こんな風にようやく「自分の時間」
を顧みるようになったのは、
何十年ぶりだろう。

子ども達もまだまだ多感な成長期。
親の問題も考えると途方に暮れるけれど、
考えても仕方がないこともこれまた現実。

同じ時間を過ごすのなら、
どうにもならないことを考えていないで、
今の時間を大切に過ごしていこう。
今できることをゆっくり、焦らず進めていこう。

たくさんの
たくさんの感謝をこめて、

ありがとうございます。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。



あ、そうそう、1年間ハマっていたペンシルパズルの本…
年末にごっそり捨てる前に、記念に1枚。
我ながらよくこんなちまちましたことやってたよなあ…
いいよ、オタクって言っても。
pazuru




弱音はくどー

子育てをしていると、
「自分が子どもと同じ年齢だった時はどうだったかな」
といつも考えている。

そりゃそうだ。「子どもの気持ち」の基準はそれしかないんだから。

けど、私にとってはこれがかなりしんどい。

忘れていたこと。
思い出したくないこと。
自分で封印してきたこと。

ぜーんぶ思い出す。

平気なふりをして、何もないようなふりをして
いい子を演じて過ごしてきた時代の
ツケが回ってきている。

同じ思いをわが子にはさせるまい、と必死になる。

これがいかんのだなー。


自分の感情がコントロールできなくなる。

くるしいなー。


けど、ただの更年期かな??
とも思ったりして。

秋だし。
なにか始めてみよーかな。

ゴスペルやりたいなー。


ごめんなさい(>_<)

大変な状況の中、支援物資を送った方から
わざわざお礼の電話をいただいてしまった。

まさかお電話をいただくなんて思ってもいなかったのに加え、
「みんなで分けあって大切に使わせていただきます」
との言葉に、恐縮するやら慌てるやら…

あまりに慌ててしまって、つい
「頑張ってください」という言葉が出てしまい、
電話を切ってから、猛烈に後悔した

ごめんなさい
これ以上頑張らなくていいのに。
もう限界まで頑張っていらっしゃるのに。


「生き残ったのだから頑張らなければ」
「もっとつらい人がいるのだから、耐えなければ」
という考え方は非常に危険だ。

平和な時代だと、人ひとりが亡くなると注目され、
周りも遺族によりそって、
その人が立ち直るのをみんなで見守ることができる。

けれど、これだけの大災害になると
自分が被災者であることも、
ともすれば忘れがちになる。

頑張って、頑張って…
ふと気がついた時に自分自身も
大変な傷を負っていることに気が付く。


難しいと思うけれど
どうか頑張りすぎず、
自分をいたわることも忘れずにいてください。


やっと送れた支援物資!

ここでも紹介した、気仙沼で震災に合われた方たちに、
ようやく支援物資を送ることができた。

個人の支援物資は
行政では受け入れをしていないか、
受け入れても人出が足りなくて
現地にまで届かないのが現状のようだ。

また、特に古着などは、阪神大震災の時に
「ここはゴミ捨て場ではない」と不愉快な思いをされた方もたくさんいて、
送っていいものかどうか迷っている人も多いはず

けれど、阪神大震災の時との決定的な違いは「津波」。
家を流された方たちは、文字通り裸一貫からのスタートだ。

今回は気仙沼で復興活動をしている民生委員の方からの連絡により、
「多少古くてもなんでも!」という
現地の要望に沿った物資を
直接自治会館に送ることができた。

現地で今足りないのは
衣類・靴(特に長靴)・カッパなどを中心とした生活用品すべて。
特に衣類は性別・年齢を問わず不足しているとのこと。
古着・靴だけでなく、オーブントースター、石鹸、食器、下着、シーツ…
思いつく限りの生活用品をつめて
ちょっとしたフリマ状態。
大段ボール5箱になった。
支援物資2
ムスメたちの、現地の子ども達への応援メッセージも添えて。

ママ友達にも一斉メールを送り、
直接現地に送ってもらうよう協力してもらった。
みなさんの「待ってました!」とばかりの反響にビックリ!
やはり「何かできることは」と思いながらも、
その手段がわからなかった、というのが現状のようだ。

極力新品に近いものを選んだつもりでも、
かえって失礼になる物もあるかも…。
でも、少しでも役に立つものがあれば、送らないよりはマシ!

募金はしてみたものの、それがどのように現地に届けられているかわからず、
地域によってはお金はあっても物資自体がなくて買うことができない。

被害の状況、ライフラインの復旧状況など、
今必要としている物資はその地域によって違ってくる。

一番確実なのは、現地に知り合いがいる人から
物資を送れる場所、必要なものを聞いて
個別に対応していくことかもしれない。

今回送った先を公開したいのは山々なのだが、
そのために1カ所に集中してしまうと
それはそれで大変なことになりそうなので、
あえて公表しないことにした(>_<)。

少しでも力になれますように!


天罰ではなく…

今年の桜は、日本国中が
特別な思いで迎えることになりそうだ。

いままで当たり前だと思っていたこと
すべてがありがたく思える。

自分が振り回されていたことが、
とても小さなことに思える。


先日友人たちとの間で
石原都知事の「天罰」発言が話題になった。

被災地の方々に対してあまりに思慮のない言葉は
上に立つ者として、許されるものではない。

けど一方で…
「今までたまってきたアカを洗い流してやり直す」
という考え方は、
被災地以外の国民が「今できること」の
基本なのではないか とも思う。

日本がまるごと
「人間らしく生きていくために
本当に必要なことは何か」
と問われている。

「被災地のことを思えば申し訳ない…」と
萎縮して質素、節約に努めるのではなく、

「自分たちがためてきてしまったアカを
洗い流してやり直す」と思えば、
おのずとやるべきことが見えてくる。

大切なのは、その気持ちを持ち続けることだ。

…なので、ここに書き留めておきます。


気仙沼からのメール2

前回の記事でご紹介した、
気仙沼のガソリンスタンドの方からの
追記メールをいただきました。


「当日の夜から、元気に気仙沼のために、
油の供給を翌日からしてました。
日の出と共に働き出す東京消防庁のバカでかい消防車への停電の中の給油に始まり、
社員の安否確認やガスの消費者の安全の確認、被災現場への配達、
崩壊した事業所から貴重品の搬出、災害地での悪質な悪戯や犯罪からの保安、
毎日の燃油在庫の確認と仕入れ、地元業者との協力体制の構築、
避難所の巡回と販売店との話し合い、対策本部との話し合い。
あっという間の一週間でした。

家族は無事であったものの、社員二名の尊い命が奪われ、
本日安置所にて面会もして参りました。

辛いです。でも、前を向かねばとも思います。
本当に悲惨な状態です。
2万人の命を奪った明治の大津波の後を復興させていった先人の気構え、
心意気を見習らおうと、懸命に努めています。
ご心配、本当にありがとうございます。頑張ります。」


極限状態の中、前を向いて、一歩一歩、
頑張っていらっしゃいます。

今は気が張り詰めていますが、
それも限界があるはず。
これからの長期戦を乗り越えていくために、
少しずつでも体と心がお休みできる時間ができていきますように。

阪神大震災の被災者の方の言葉。

『本当につらかったのは、
 震災からしばらくたって、世間が忘れていきつつある時の
「取り残され感」だった』

私たちの「今できること」も
長期戦をアタマにおいていこう


気仙沼からのメール

ママ友達に、実家が気仙沼の方がいます。
最近ようやくご両親と連絡がとれ、ご無事が確認されました。
が、いまだ安否がわからない知人の方もたくさんおり、
連絡役に奔走していらっしゃいます。

そのご友人からの、現地の様子を伝えるメールを転送していただきました。
気仙沼でガソリンスタンドを経営している方だそうです。


「ガソリンがないのは、千葉や根岸、鹿島の大きな日石の製油所や油槽所が
地震で傾き出荷出来なくなったからなんだよ。
日石は東北にある製油所も火事で燃えてるし。
電力といい、水といい、油といい、食料といい、
首都圏は東北や関東に頼ってる面が大きいんだよね。
新幹線通ればいいけど、車じゃこちらに来てもガス切れになるかもね。
ガスがなくて、東京まで帰れない人かなりいる。

主要道路の上にあった瓦礫が脇に避けられ、
市内を行き来することが出来るようになりました。
JXの根岸や鹿島の油槽所が傾いて首都圏や東北向けの製品が品薄で、
首都圏でも油が無くて大変なようですが、その状況の中、
瓦礫を撤去する重機や東京消防庁のバカでかい消防車や警察車両、
役所の様々な車、介護や捜索活動に動く車、病院や火葬場、
避難所の暖房などの油の調達を国の出荷規制の中、
毎日、東京に掛け合って明日のタンクローリー1台を
確保するために奔走しています。
社員は二ヶ所になってしまったスタンドに災害の翌朝から出社し、
日の出とともに活動する緊急車両への燃料補給や島へ物資を運ぶ船の燃料、
ヘリコプターから落とされる燃料ドラム缶の回収、燃料に関する
様々な復旧活動に当たってくれています。
今月の給料も出せるか解らない中で、自分の家や思い出を奪われるなかで、
家族を避難所や親戚の家に残し、懸命に働いてくれています。
神戸の時もそうだったようですが、震災後の瓦礫の暗闇の中では、
津波に押し潰された車からガソリンを抜くのは当たり前、
付け火や留守宅から窃盗を働くやからがいる物騒で薄気味悪い被災地にあって、
店を守るために泊まってくれている社員もいます。本当に感謝です。

皆の言葉に励まされてます。皆の気持ちが胸に染み渡ります。

家が壊れても『もう年だから新しく建てても』とか、
『ギリギリでやってきたからこの機会にいっそ商売は止めよう』
『営業所は当座、閉鎖して、静岡の本社に全員転勤させられるだろう』など、
神戸とはまた違った震災後の風景ではないか感じます。
私も本当にこんなに一生懸命やってくれている社員を養っていけるような
会社に再建できるのか、実は不安なんです。
そんな中の皆の気持ちは、正直、本当に本当に嬉しい。ありがたいです。
三年間、毎日一緒にいた皆だからこそ、嬉しいんだよね。

こんなに、全員から暖かいメッセージをもらえるなんて、
生きてて良かったなあと思います。」


できることは小さいけれど

そんなわけで結果として我が家では
ケガもなく、大きな被害もなく、残ったのは
避難訓練程度の経験と筋肉痛、足にできた5つのマメ。

それでも不安と緊張の続いたたった半日の経験は
自分で思った以上にダメージが大きく、
気が付くと2日間はぼーっとしていた。

その後刻々と明らかになっていく未曾有の被災状況。
現地の方々がおかれている過酷さは、想像を絶する。

家族、大切な仲間が生きてさえいれば、共に頑張れる。
日本には復興していく力がちゃんとある。

けれど、突然奪われた大切な人の命を悲しむ間もなく、
自分が生きていく術を見つけなければいけない方々に
私たちは何ができるのか。

募金、節電、風説に惑わされず冷静な判断をすること。
仕事を通じて情報を発信し続けること。
経済の停滞も復興の大きな妨げになるから、
仕事や日常生活をきちんと続けることもひとつなのだろう。
ありきたりで小さいことしかできないが、
みんなが同じ思いでいることが大きな力になると信じたい。

そして祈っています。

希望を捨てず
どうか生きて、生き抜いてください。


感謝をこめて

震災の日、私は渋谷駅に隣接したビルにいた。

揺れは大きかったものの、幸い周りにケガ人や目立った被害は見かけず、
電車がストップしているとわかった時も、
一時的なものですぐに回復するだろうと、駅周辺で待つことに決めた。

これはただごとではない、と気がついたのは1時間ほどした頃。
一緒にいた友人が無事に帰れたかどうかも気になりつつ、
家族の安否が心配だ。

幸い主人とは早々に1回だけ電話がつながり、
今渋谷で足止めになっていることを伝えることができた。
だが、その後は一切携帯がつながらなくなった。

中1の長女は部活で学校にいるはずだから、まず心配ない。
小2の次女はちょうど下校中の時間だ。
学校を離れてしまっていれば、
どうやって安否確認をすればいいのか。

近隣のママ友達に何度も電話やメールを送ってみるが、つながらない。

救われたのは、ようやく届いた次女の友達のママからの1本のメール。
家で次女を預かってくれているという。
安心のあまり、涙が出た。

ようやく「なんとしても帰らなければ」と動き始めた。
が、駅はシャッターが降り、完全に封鎖。
自宅付近までつながっているバスはない。
途中まで行けるバスを探すが、長蛇の列で最後尾がどこかすらわからない。
そもそも駅周辺は大渋滞していて、車は一切動けない状態だ。

歩くしかない。
R246をひたすら横浜方面に行けば、いつかはたどりつくはず。

けれど、果たして今日中に家に着けるか?
長女が家に帰ったであろう時間に、たまたま公衆電話の前を通りかかった。
時間はとるが仕方がない。1時間並んで自宅にかけると、やっと長女と通じた。
「友達の家に次女を迎えに行き、2人で一緒にいるように」
「余震が続いたり不安だったりしたら、近所のお宅の家に寄らせてもらうように」
と伝える。

初詣状態の国道を進むと、
途中のお店で温かいスープの炊き出しをしてくれている。
トイレを貸し出してくれているお宅もある。
なんてありがたいのだろうと救われる反面、
何が起こっているのかわからない不安感も大きくなる。

携帯の電池が切れそうだったので、親しい友人に
「今帰宅途中。家で子どもたちが2人で待っているので、
電話がつながれば励ましてやって」と、メールを送る。
返信が届かないので、この時点で届いたかどうかはわからなかった。

5時間無心に歩き続けたところで足に痛みを感じ、道ばたに腰をかける。
携帯の電池が切れたので隣に座っていた男性に時間を聞くと、22時を回っていた。
目的地を聞くと、彼は私の1.5倍の距離は歩くことになる。
少し元気をもらい、すぐに歩き始めた。

行き倒れ寸前、自宅にたどりついた時は午前0時を回っていた。
ムスメたちは非常用袋を枕もとに置き、
2人で寄り添うように爆睡していた。

主人もその30分後に帰宅。
こちらは府中から、やはり徒歩で7時間かかったとか。

後日談。

次女はこの日、帰宅途中の歩道橋で地震にあい、
一緒にいた友達と走って広場の真ん中に集まり、
輪になって座って身を守ったらしい。
その後帰宅したとたん、玄関で余震が来たので、
すぐにお友達の家へ行ったそうだ。
普段ぼーっとしていると思っていたら、
意外としっかりした一面を見せてくれた。

2人で留守番していた時も近所の人たちが声をかけてくれ、
最後に送ったメールが届いていた私の友人からも頻繁に電話をもらって、
頑張ることができた、とのこと。

次女はこの日の明け方インフルエンザを発症。
帰ってきてよかったと、胸をなでおろした。


あらためて
お世話になったすべての方に心から感謝いたします。

ありがとうございました。


言葉って難しい

言葉って難しい。

唯一人間だけが持つコミュニケーション手段なのだけど、
これに救われることもあれば、凶器になることもある。

数年前、私は強烈なアッパーカットを一発くらっている。
私の人生の中で、おそらくこれ以上の凶器となる言葉はないだろう、
と思われる最悪なものだった。
それまでもジョブがたくさんあった上での一発だったから、
完全にノックアウトだ

けど有難いことに、リング上から救出してくれたのも、
家族や友人たちの言葉だった。

だけどその時も「助けて!」と言わなければ、
きっと家族、友人にも伝わらなかったんだと思う。
いまだにリハビリ中なので、波が底にある時は
やっぱり「助けて!」と言っている。

その「助けて!」が言えるようになってきたのは、最近だ。

よく「何も言わなくてもわかってほしい」と思うことがあるけれど、
それは無理だよね。
人は自分じゃないのだから、何を考えているかなんて、
ちゃんと伝えなければわからない。

時と場合によっては、ほっておいてほしいこともあるけど、
その時は、そうであることをちゃんと伝えないといかんのだよね。

長年連れ添ってきたダンナや友人、
自分のお腹から生まれてきた子どもたちの場合、
ある程度までは何を考えているのか想像することはできる。
けど、それも今までの言葉の積み重ねがあってこその話だし、
そんな家族や友人ですら、やっぱりわからないことだって
たくさんあるのだ

人が言った言葉がどういう意味だかわからない場合は、
極力いい方に解釈するようにしている。
その方が自分自身もラクでいられるから。
「ただのオメデタイ奴だった」という結果に
愕然とすることも多々あるんだけれど
まあ、それはそれで仕方ないか。
時によっては「空気読めよ!」と思われるのかもしれないけれど、
悪くとってモンモンとするよりはよっぽどいいかな。
と、最後には開き直る私

あ~、いっそのこと他の動物のように言葉を持たなければ
ラクなんだろうなあ…と思うこともあるんだけどね。
言葉を商売にしている以上、ここは
「使いようによってはこれほどスバラシイものもない」
と言っておこう。

あ、ちなみに話をもとに戻すと、
「そもそも戦う意思がない場合はリングに上っちゃあいかん」
という教訓も学んだ私でした


たくましきビワ

10年前、スーパーで買ってきた「ビワ」の種を
夫が家の裏の小さな空き地へ埋めた。
それがいつの間にかこんなに太い幹になり、
この度初めて花が咲いたのである。
ビワ2
ビワ1

調子に乗った夫は、何かというと果物や雑草の種を裏に撒きに行くアイコン名を入力してください

ムスメ達も真似をして、撒きに行くアイコン名を入力してください

夏には雑草でボウボウになるので
年に1度、家族総出で雑草取りをするのだが、
その時にも「抜いてはいけないもの」があるのだ。
時々私が間違えて抜いてしまうと、怒られる。
……そんなの、知ったことか~~怒

そんなわけのわからないこだわりの雑草地だが、
まさに雑草のごとくたくましく育ったビワを見て、
以前ここでも書いた、Qちゃんの恩師の言葉を思い出した。

何も咲かない寒い日は、
下へ下へと根を伸ばせ。
やがて大きな花が咲く。



10年目にして花開いたビワ。
実はつくのかなあ…。

道行く人がこっそり実をとって、
「マズイ!」とか言いながら通り過ぎるのを
楽しみにする今日この頃である。
(ほとんどバアサン的な楽しみやね笑


あけおめでございます

明けまして、おめでとうございます。初日の出 pkk

このブログの目的でもある「小さな宝石キラキラYを拾い集めること」も、
ずいぶんうまくなってきました。

暗黒面ばかりをのぞいていると、
あっという間にブラックホールへ巻き込まれていく泣きけれど、
小さな宝石を集めていると、だんだん大きな宝石星になってきます。

私にとっての宝石は、家族や友人、私を支えてくれるすべての人。

これからは集めるだけでなく、大切に磨いていきたい。

心からの感謝をこめて、
ありがとうごさいます福助

今年もどうぞよろしくお願いします。


頑張りすぎないこと

朝日新聞の折込誌「スタイル朝日」04号に、小笠原望医師のコラムが掲載されていた。
小笠原医師は、土佐でかかりつけ医として医療にたずさわる中で、まっすぐに「いのち」と向き合ってきている人だ。

この記事は、介護をしている人たちへのメッセージ。
-いのちは自然の流れの中がいい。本意でないのに都会の子供たちのもとへ引き取られていくお年寄りの最後の診療は、つらいものだ。
-「こうでなくては、こうしなくては」の気持ちでいっぱいになると、くたくたになってしまう。少しいい加減でいい、できることとできないことがあるのは当然。


そうなんだよね、人は今いる狭い世界での多数派の行動が、「常識」や「価値観」になる。
世の中に「こうでなくてはいけない絵文字名を入力してください絵文字名を入力してください」ということはないのだけれど、わかってはいるけれど、流される。
時には、自然な流れよりも、その常識や価値観に流されていた方が楽な場合もあるから…なのかなあ。

でも、少なくとも介護や子育ての現場では、「こうでなくてはいけない」という考え方が、自分も相手も縛りつけ、のっぴきならない状況ガーンに追い込んでしまうことも確かだ。

小さな価値観の流れの中で溺れず、その周りに流れる大きな大きなゆったりとした自然の流れに、しっかりと足をつけて立っていたいものだと思うツリー

まあそうは言っても、人生誰にでも「頑張り時」というものがあるので、
やはりバランスの問題なのである。

ふっふ…また、わけのわからない戯言でした。ユチョン*


幸せ~って何だっけ何だ~っけ♪

すっかりごぶさたしてました、私の宝石箱。
別に君の存在を忘れていたわけではないのよ~。
単に気が乗らなかっただけなのよ~ねこ

ところで、とうとう我が家も不況の波が避けられず、
夫婦して収入減という危機に陥っております風

けどね…そんな中で見つけた宝石もあるんです・キラキラ、これが。


生活って、どこまでが贅沢なのか
わからなくなることがありんすね~。

「普通」の生活って?

食べるのには困らず、雨風がしのげる家があればそれでいい?
いやいや、子どもには最低限の教育は受けさせたい。
最低限…? 違うなあ、望めば大学は出してやりたいし、
受験するための塾だって行かせたい。

ブランドものにはもともと全く興味はないけれど、
安い服でもおしゃれは楽しめる。

安い食材でも工夫をすれば、
おいしいご飯がいただける。

ほとんどがブックオフだけど、
本はいつでも傍らに置いておける。

中古だけれど、家族でキャンプに行ける車がある。

ローンで首がまわらないけれど、
生活に困らない場所に、家族で一緒に住める家がある。

自分ではつましい生活をしているつもりだけど、
こうやってひとつひとつ考えていくと、
やっぱり贅沢なんだろうな。

そして、何より健康でいられることは、究極の贅沢。
大切な人と気持ちが通じ合えることは、
もっと最高の贅沢。

ともするとそれを失ってから
普段あたりまえだと思っていたことが、
とても幸せなことだということに気づくことが多い。

でも、失ったあと、またそれを取り戻した時に
本当に幸せだと思えるのかも。

二度と取り戻せないものもある?
そうね、誰でもあるね。
だから大事にしないとね。

ああ~、何だか禅問答のようになってきた汗
あんまし難しいことを考えると
アタマが飽和してしまうので、
この辺でおしまい。

時には考えないことも幸せなのである犬ふふっ


修行が足りんなあ…

「人は皆、自分が一番苦労を背負っていると思っている」

…って、今読んでいる小説の中に出てきたセリフだ。
耳が痛い絵文字名を入力してください


不平、不満kao07を見つけるのは簡単だけど、
幸せハートを見つけるのは難しい。

病気の人は「健康」を、
お金が足りない人は「お金」を、
孤独な人は「家族」「友人」を、
子どもに恵まれなかった人は「子ども」を、
愛情に恵まれなかった人は「愛情」を
容姿が悪いと思っている人は「美貌」を、
人間に地位があると思っている人は「権力」を
欲する。

いやはや、人間の欲望というものは果てしない。

で、自分が不幸な時は、
知らず知らずのうちに、人を羨んでいる。
「あの人は、自分が持っていないものを持っている」

自分が幸せだと思う時も、
知らず知らずのうちに、人と比べている。
「あの人に比べれば、自分は恵まれている」

では、
戦争や貧困で、
今日食べるものがない、
寝る場所がない、
病気や怪我の治療を受けることができない

そんな人たちのことを思いながら、
自分は幸せだと納得させる?

だとすると、
世の中から自分より不幸だと思う人がいなくなったら、
人は幸せだと思えないのかなあ。

人と比べることをやめたら
もっともっと楽になれるのに。

でもこれができたら、悟りを極めた仙人だね。
マザーテレサのような人は、
そんなこと考えもしなかったんだろうか。
(マザーテレサと一緒にするなってか苦笑い

せめて、日常の生活の中で
自分が本当に大切にしたいものは何なのか、
わかっていたい。


学校の先生

友人のブログで先生のことについて触れていたので、
私もちょっと考えてしまった。

新学期が始まり、毎年のことながら、
担任の先生が「当たった~笑い。」とか「ハズれた~kao06」とかいう声を聞く。

私も、子どもの前では先生の悪口を言わないようにしていた。
生活を楽しく送るためには、何事も悪くとるよりは
いい風にとった方が、いいに決まっている。
それは、人間関係の基本でもある。

でもなあ…人間だからこそ「合う」「合わない」はあるんだよね。
好きな先生だって嫌いな先生だって、いてあたり前なんだよね。

自分が学生の頃も、先生に勝手にあだ名をつけて、好き放題言っていた。
(先輩から代々受け継がれていたあだ名はやはり絶妙だった。
 ずんぐりむっくりの「ムンパ」(ムーミンパパ)と、
 パーマ頭で鼻髭をはやしていた「サリンパ」(サリーちゃんパパ)
 のペアは、今でも最高傑作のひとつだと思っている。)
好きな先生も、嫌いな先生も、それぞれのキャラクターを楽しんでいた。
まあもちろんシャレにならない先生もいて、全面対決炎したこともあったけど、
「合わない」程度の先生だったら、何年かの我慢で済むことだし、
あんまり深入りしなければ、面白がって終わりにすることができる。

小学校のうちはそんなやり過ごし方をできないものだから、
先生から受ける影響はものすごく大きい。
でも、先生に限らず、この先どこへ行っても、
合う人はいるし、合わない人もいる。
1~2年で変わる担任の先生との「付き合い方」は、
子どもにとっても大切な勉強なんだよなあ。

…なんて思った時から、私は子どもの担任の先生にもあだ名をつけて
面白がるようになってしまった。
無表情でマニュアル通りの授業しかしない先生は「鉄仮面」。
前髪が長くてカッコつけてる先生は「鬼太郎」。

話が逸れたが、そんなこんなで、まあ明らかな悪意でなければ、
子どもも先生の「愚痴」くらい言ったっていいのではないか
と思う、今日このごろである。

ちなみに、私がダースベーダーに変身している時は、先生に
「テメエ!うちのムスメに何してくれるんじゃ!出直してこい!怒!
と叫んでいる時もある。今のところ心の中でだけですんでいるケド。
先生も大変だなあ…汗あせ


兄へ

とてもよく晴れたすがすがしい春の昼下がり太陽に、なんだが…
兄に関しては、11年の時を経て、ようやく少しだけ
そんな気分になった。

人は亡くなると、お墓にでも、千の風にでもなく、
親しかった人の「心」に住む。
(「キャンディ・キャンディ」でアンソニーが死んだ時に、
 そんなようなセリフがあったなあ。
 「わかる!」と思ったアナタ、ふふっ、同世代っすね。)

なので今、兄は私の心の中に住んでいる。

私がお墓参りをしないのも、それが理由。
(決して無精だからではない。それもあるけどjumee☆faceA105。)

兄貴。
きっと私に言いたいことはたくさんあるんだろうけれど、
まあそのうち会えるから、そん時に聞くわ。
それまで、しっかりと見守っていてね。
あ、見守るだけじゃなくて、ヤバイ時はちゃんと助けてね。

…などと、都合のいいことを考えているのだが、
本当に感じることがあるよ。
守られているんだなあ…って。

親よりも私のことを心配していた人だから、
いまだにハラハラしてるんだろうね。

私は守ってあげれなくて、ごめんね。
でも、自分を責めるのは無意味だと、やっとわかった。
もうやめるよ。

だいじょーぶ、私は大好きな家族と友人に囲まれて、
ちゃんと前を向いて生きているから、安心して。

まだまだ波はあるから、悲しくなることもあるけど、
その波もだんだん小さくなってきているし。

やっと言えるよ。

ありがとうね。





ダースベーダーになる時

orz煮詰まった…。

人はあまりに忙しいと、精神的にも追い込まれる。

もともとビンボー症で、じっとしていられないのも災いしているが、
やはり人は背負える量…というか、キャパが決まっているのだ。

仕事の繁忙期が過ぎる頃が一番ヤバい。
休める時間が少しでもあればゆっくり休みたいのに、
体は横になっても、頭がフル回転していて、飽和状態になる。

ギリギリの状態だと、人に対しても余裕がなくなる。
普段許せることが、許せなくなる。

普段は人まかせにしているくせに、文句だけは一人前に言われると、
頭にくる怒

やっと気持ちを切り替えて、怒りを静めたところに、
また同じ話を蒸し返されると、キレそうになる怒る。

頑張った自分へのささやかなご褒美…ほんとに笑っちゃうほどささやかな
贅沢が子どもに見つかり、「ママだけずる~い」といわれると、
張り倒したくなるうわーん
あ…だんだん低レベルになってきたな。

あげくの果てに、

余裕がある時はこのブログのテーマに基づき
「大変なのは自分だけじゃない」とか
「感謝の気持ちを忘れないように」とか思うのだけど…

年に何回か訪れるこの繁忙期には、心はすっかりささくれ立ち、
へっ、なーにが「日々の小さな幸せを見つけよう」だ!
キレイごと言ってんじゃねーよ。
優等生ぶってんじゃねーよ。

と、自分のセリフに向かってツバをはきかけたりする。

…でもま、人間なんだからそんな時もあるんだよね。
というか、認めちゃうけど、そんな私も、私の一部なわけorz

あー、少しすっきりしたぞ。
もうちょっと落ち着いたら、みんなに遊んでもらおーっと。

…と思ったら、あれ、みんな引いちゃったかなjumee☆faceA76


涙そうそう

どうしても辛くて聴けない曲がいくつかある。
亡兄の想い出につながる曲だ。

「涙そうそう」はその中のひとつだった。
森山良子が若くして亡くなったお兄さんを思って書いた歌なので、
どうしても重なってしまってダメだった。

でも最近やっとクリアした。
たくさん泣いたけど、すっきりした。

気がつかないうちに、気持ちも、周りの状況も、刻々と変化していく。

だいじょうぶ。同じ状況は続かない。


「涙そうそう」いい曲だあ! 聴けた記念に書いておこう。

  古いアルバムめくり ありがとうってつぶやいた
  いつもいつも胸の中 励ましてくれる人よ
  晴れ渡る日も 雨の日も 浮かぶあの笑顔
  想い出遠くあせても
  おもかげ探して よみがえる日は 涙そうそう


  一番星に祈る それが私のくせになり
  夕暮れに見上げる空 心いっぱいあなた探す
  悲しみにも 喜びにも 想うあの笑顔
  あなたの場所から私が
  見えたら きっといつか 会えると信じ 生きてゆく


自分のコト

私はよく、人をキャラクター化して喜んでいる。
特にキョーレツな個性の人に出会うと、みるみるうちに頭の中でマンガのキャラが生まれてくるのである。
ちびまる子ちゃん、ドラえもん、おじゃる丸、古くは天才バカボンなどにでてくる愛すべきキャラクター達は、よく現実の人々とオーバーラップしている。
ムスメたちのクラスにも「はまじ」や「たまちゃん」「ジャイアン」「できすぎ君」がいる。キャンディ・キャンディの「イライザ」も登場した。
仕事先には「電ぼ」がいるし、毎朝通園の途中で出会う人の中には「レレレのおじさん」と「カメ姉妹」がいる。

こんな言い方をすると「人をバカにしている」と思われるかもしれないけれど、
決してそういうわけではない。
キャラクター化すると、その人の「いい部分」「好きな部分」がクローズアップされてきて、もっと好きになれるのである。

ところが、親しくなればなるほど、このキャラクター化ができなくなってくる。
その人の内面を知るほど、一言で「こういう人」だと決めつけられなくなってくるのだから、当然と言えば当然なのだが…親友や家族などはとても難しい。

そして、最近フト気がついたのだが、自分のこととなるとこれがさっぱりわからないのである。

自分は長女にはあまり似ていないと思っていたのだが、よく「まさにあなたの子だね」と言われるようになってきた。
自分では、悩み多き影のある女だと思っているのだが、能天気だとかお気楽だとか言われる。
下戸でアルコールアレルギーにもかかわらず、むちゃむちゃお酒が強そうだと言われる。
女らしいキメ細やかさを持っていると思っているのだが、男らしいと言われる。
さらに、昔から「第一印象と全然違う」と言われることが多いのである。

今まで「自分は人様からどう見られているのか」ということをあまり気にしてこなかったのだが、考えてもさっぱりわからない。
それどころか混乱して眠れなくなるので、やっぱり気にしないことにした。

でも誰か、私と私の周りの人たちをマンガにしてくれないかなぁ…。


大きな耳、小さな口、優しい目

「感銘を受けた言葉」シリーズ第3弾。

大きな耳、小さな口、優しい目で待つ

NHK「フルスイング」というドラマの中で、プロ野球のコーチから転任した高校教師のセリフ…だそう。というのも、私はこのドラマを見ていない。先日朝日新聞でこの言葉が紹介されていて、心にとまったのである。

コーチとしての信念は、教えないこと。
選手から「教えて」と言い出すのをひたすら待つということらしい。

う~む…完全に「小さな耳、大きな口、キビシイ目」が現実の私には、忍耐がいることだ。
誰にって? もちろん子供に。
だってねぇ、頭ではわかっていても、子供の話をじっくり聞いてやるには、時間にも心にも余裕がない。
子供がしゃべっている途中から、かぶせて意見をしてしまったりしている。

せめてこの言葉を頭の片隅にでも置いておけば…少しは違うのか?


苦しい時こそ…

感銘を受けた言葉シリーズ第2弾。

あまりに有名だけど…
マラソンの高橋尚子選手が走れなくて苦しんでいた時に
高校の恩師から贈られた言葉がいいね~。

「なにも咲かない寒い日は、下へ下へと根をのばせ
 やがて大きな花が咲く」


苦しい時こそ地盤を築く時。

苦しさが無駄になることは絶対にない。

これも言葉の魔法のひとつ。
イメージをふくらませていくと、力になる。




ターニング・ポイント

奪われし未来
2000年「ブループラネット賞」(環境問題研究のノーベル賞といわれる賞)を受賞したシーア・コルボーン博士を知っていますか?

彼女は50歳を過ぎてから環境問題を勉強するために大学院へ入り、58歳で動物学博士となって五大湖の科学調査プロジェクトチームに参加。後に鳥の生殖異常から環境ホルモン問題を指摘するに至り、「奪われし未来」という本を出します。

この業績は、彼女が若い現役学生だったら成し得なかったもの。
「今さらこんなオバサンが」という批判にもかかわらず、満を持してこの時を待ち、新しい分野に飛び込んだ彼女。
それまでの彼女の生き方…野鳥が大好きで、家庭を持ち、子育てをし…といった経験の積み重ねがあってこそ、他の誰もが気がつかなかった点にスポットをあてることができたのだ。

以前、彼女を紹介した新聞の記者が印象的な言葉を残しています。
『その人にとって、まさにその時というポイントがある。
 「何でも始めるのに遅いということはない」と人はよく言うが、そうではなく、
 「その人にとって最良の時がある」と置き換えたい』

うーーーむ、なるほど。
無駄に思える時間や、あの時やり直せたら…と思うこともたくさんあるけど、
それも自分の人生の土台になる積み重ねのひとつなのだなぁ。

私の好きなショーン・コネリー殿が昔、お酒のコマーシャルで言っていた。
 「時は、流れない。それは積み重なる」
これまた名コピーである。




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